「今日はいい天気ですね」 私が近所の方に挨拶をするとする 「今日」「は」「いい」「天気」「です」「ね」は 私がつくった言葉ではない 他人から見聞きし、他人から読み書きすることで習った 私でも話せる言葉だ 「昨日」とか「今日」とか「明日」とか どれだけの人がそれぞれの思いを言葉にしてきたのだろう 私のページ(言葉の展開)は 打ち明け話ができたことで始まったし 挨拶を口ごもることで再開できた 友達はいないが 睨みつけられる他人がいる 言葉は 私と他人 との関わりなのだろうか 言葉は 私と他人の私 との関わりなのだろうか ※ 言葉を「自分の言葉」として書くとき その言葉に囚われそうな思いはあるが もうしばらく(ボケるまで) 「自分の言葉」でいたい ※ 私には 私を「おまえ」と呼べる私がある 自分のことを「僕」とか「俺」とか呼べない時期があり 人称を飛ばして話をしていた いつか自分のことを 三人称を含む「私」と呼ぶことで収まった 量子力学では、スピン0の粒子が崩壊して二つの粒子AとBに分裂し た場合、それぞれの粒子は角運動量の保存則により、上向きのスピン か下向きのスピンをもつようになると予想されている。つまり、もし 粒子Aのスピンが上向きならば、粒子Bのスピンが下向きとなる(上 向きのスピンと下向きのスピンが合成され、分裂前のスピン0の状態 に対応する)。量子力学では、各々の粒子のスピンの状態は観測しな ければ確定しない (出展先 亡失) 遠く離れた観測(量子テレポーテーション)が終る時 彼らは、崩壊前の スピン0=1 の彼(彼≠彼、彼≠彼女)に 戻れるのだろうか |