1の在処-嘘つきのパラドックス


一般に、論理学者や数学者が何よりも重視するのは、言語の正確性である。
人工的な論理記号や数学記号を用いて、推論を厳密に組み立てようとする
のも、日常言語に含まれる曖昧性や多義性を避けるために他ならない。

          『ゲーデルの哲学』 高橋昌一郎著より



曖昧性や多義性を取り除けば真理の世界が開けるのだろうか
私は正しさや誤りをごまかしながら暮らしている。

たとえば真理から世界が始まるとする。
日常言語に含まれる曖昧性や多義性が現在にあるとすれば
それらは始まりの真理から続く真理の世界の中にある。

たとえば真理から世界が始まらないとする。
日常言語に含まれる曖昧性や多義性が現在にあるとすれば
それらは正確性のない今の暮らしの世界にある。
真理はいつ始まりどこに現れるのだろう


  嘘つきのパラドックス

    ・嘘つきである私が「私は嘘つきだ」と言うとする。
     私は嘘つきだから「私は正直者だ」と言ったことになる
       私は正直者ではない (ここは無言で)
    ・嘘つきである私が「私は正直者だ」と言うとする。
     私は嘘つきだから「私は嘘つきだ」と言ったことになる
       私は正直者になってしまう(ここは無言で)

   私は自分のことを「おまえ」と言ったり
   他人もそれぞれの「私」ではないかと密かに思ったりする

    ・嘘つきであるその私が「私は正直者だ」と言うとする。
     私は嘘つきだから 私(嘘)=あなた 正直者(嘘)=嘘つき
     となり「あなたは嘘つきだ」と言ったことになる。
       私は嘘つきでいられる (ここは無言で)
    ・嘘つきであるその私が「私は嘘つきだ」と言うとする。
     私は嘘つきだから 私(嘘)=あなた 嘘つき(嘘)=正直者
     となり「あなたは正直者だ」と言ったことになる。
     私は嘘をつかないあなたを正直者だと思ったことなど一度もない *1
       私は嘘つきだ (ここは無言で)

             −−嘘つきの私が正直に解説をしてみた−−


正しさは 誤りを取り除き
強さは 弱さを踏み台にする      *2

  時代の流れの中で

正しさは 誤りのほころびを繰りかえし
強さは 弱さのなかで死を臨む     *3



  *1
    私は50年ほど前地元で仕事を探している時、父の期待もあり
    市役所の採用試験を受けた。
    面接で「あなたは市民に奉仕するつもりがあるか」と問われ
    私は「いいえ」と答えた。
    公に携わる人は「はい」と答えられるのだろうか。

  *2
    国民民主党が主張する「103万円の壁」減税問題で所轄上級官僚の
    天下りがあらわにされる。
    桁は雲泥の差だが、私が住む小さな町でも天から順に下りていく。
    大小微細に係わらず、仕様は一様に在るのだろうか

  *3
    私も弱さのなかで 経験できる=経験できない


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